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	<title>unos.biz &#187; 思想</title>
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	<description>環境と思想と日常と.</description>
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		<title>ゆとり教育を受けてゆとりのない心に</title>
		<link>http://unos.biz/blog/archives/590</link>
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		<pubDate>Tue, 06 Jul 2010 22:18:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ゆのじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[思想]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
ゆとり教育を受けていた人がだんだんと社会に出てきているという。
ゆとり教育そのものやその結果もさておき、そういう人を馬鹿にする人も含め、日本の多くの人から「ゆとり」が失われすぎてはいないだろうかと思う。   ゆとりがないから目の前のことばかり気になってしまって先をみる余裕がない。先を見ないから先に投資もできない。先に投資しないからフラフラしてまっすぐ進めないし結果もでない、迷走してしまう。
かっこよく生きないと、というわけではないけれど、武士は食わねど高楊枝的な矜持をもって生きるのも大事ではないかと思う。勉強ができたって、「人間かくあるべし」というような考えが持てないようでは程度が知れる。親が子に教えなきゃならないことなんてそういうことなんではないかね。人生を、世の中を俯瞰するような鳥の目を持てる根本的な思想。
ぼろぼろの今、それを取り戻せるのだろうか。誰もが気づいたときにはもう手遅れなのだが。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img style="border-bottom: 0px; border-left: 0px; display: block; float: none; margin-left: auto; border-top: 0px; margin-right: auto; border-right: 0px" title="cat" border="0" alt="cat" src="http://unos.biz/blog/wp-content/uploads/2010/07/IMG_0818.jpg" width="420" height="287" /> </p>
<p>ゆとり教育を受けていた人がだんだんと社会に出てきているという。</p>
<p>ゆとり教育そのものやその結果もさておき、そういう人を馬鹿にする人も含め、日本の多くの人から「ゆとり」が失われすぎてはいないだろうかと思う。   <br />ゆとりがないから目の前のことばかり気になってしまって先をみる余裕がない。先を見ないから先に投資もできない。先に投資しないからフラフラしてまっすぐ進めないし結果もでない、迷走してしまう。</p>
<p>かっこよく生きないと、というわけではないけれど、武士は食わねど高楊枝的な矜持をもって生きるのも大事ではないかと思う。勉強ができたって、「人間かくあるべし」というような考えが持てないようでは程度が知れる。親が子に教えなきゃならないことなんてそういうことなんではないかね。人生を、世の中を俯瞰するような鳥の目を持てる根本的な思想。</p>
<p>ぼろぼろの今、それを取り戻せるのだろうか。誰もが気づいたときにはもう手遅れなのだが。</p>
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		<title>必要なものを、必要な状態に、いつも。</title>
		<link>http://unos.biz/blog/archives/585</link>
		<comments>http://unos.biz/blog/archives/585#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 26 Jun 2010 12:32:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ゆのじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[思想]]></category>
		<category><![CDATA[日常]]></category>

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		<description><![CDATA[現実逃避中。
&#160;
先のポストで、メモリを足してHDDをSSDに変えた、と書いた。その結果、これまで「起動時に同時に立ち上がってほしいんだけど重いのはいやだから」とstartupにいれていなかったevernoteをstartupに入れたり、重いから仕方なく同時起動していなかったVisualStudioとeclipseを何も考えずに起動したりと、大変ストレスが減ったように感じている。
つまるところ、前々から富豪的だと指摘され続けている、ブラウザにタブを大量に開いて(しかもSafariとFirefoxとIEと同時に開いて)動作を確認しつつ、裏のVMWareで動いているLinux上のファイルをeclipseで開いて編集してやって、画像が足りなかったらそこでおもむろにPhotoshopとIllustratorを立ち上げる、なんてことが、何も気にすることなくできるようになった。
そもそも、ユーザ目線の私(*)からすればコンピュータは「最低限」こうでなければならないものだった。それがやっとかなった、そういう気がする。いずれまたいろいろ足りなくなってきてしまうのだろうが、今は気分がいいので先のことは忘れておくことにしよう。
&#160;
(*)エンジニア目線の私からしたら、あれもこれも無茶しやがって、なのだが、でもそれって作る側のエゴであって、自己満足にしかならない。モノがユーザのためにあるとするならば、エンジニア目線なんて忘れてしまうべきだ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現実逃避中。</p>
<p>&#160;</p>
<p>先のポストで、メモリを足してHDDをSSDに変えた、と書いた。その結果、これまで「起動時に同時に立ち上がってほしいんだけど重いのはいやだから」とstartupにいれていなかったevernoteをstartupに入れたり、重いから仕方なく同時起動していなかったVisualStudioとeclipseを何も考えずに起動したりと、大変ストレスが減ったように感じている。</p>
<p>つまるところ、前々から富豪的だと指摘され続けている、ブラウザにタブを大量に開いて(しかもSafariとFirefoxとIEと同時に開いて)動作を確認しつつ、裏のVMWareで動いているLinux上のファイルをeclipseで開いて編集してやって、画像が足りなかったらそこでおもむろにPhotoshopとIllustratorを立ち上げる、なんてことが、何も気にすることなくできるようになった。</p>
<p>そもそも、ユーザ目線の私(*)からすればコンピュータは「最低限」こうでなければならないものだった。それがやっとかなった、そういう気がする。いずれまたいろいろ足りなくなってきてしまうのだろうが、今は気分がいいので先のことは忘れておくことにしよう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>(*)エンジニア目線の私からしたら、あれもこれも無茶しやがって、なのだが、でもそれって作る側のエゴであって、自己満足にしかならない。モノがユーザのためにあるとするならば、エンジニア目線なんて忘れてしまうべきだ。</p>
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		<title>花見とか</title>
		<link>http://unos.biz/blog/archives/506</link>
		<comments>http://unos.biz/blog/archives/506#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 03 Apr 2010 17:19:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ゆのじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[写真]]></category>
		<category><![CDATA[思想]]></category>
		<category><![CDATA[日常]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
今年はやたら多忙になってしまって、果たして「花見」といえるような花見に行けるかどうか怪しい。そんな中とりあえず花を見ようと予定の合間に花園神社に立ち寄ってみた。
花は満開、散り始める直前といった風情。そんな中木の幹から直接咲いている花ばかり撮ってしまいがちなのは性格の現れなのだろうか。
&#160;
3月末くらいの某有名社長の講演を見た。ものすごい実力がある人の話だし、理屈に結果が伴っているし、そういう意味ではかなり感銘を受けたものの、感情が違うと言う。   何が違うのだろうとちょっと考えてみたのだが、実力に対して想像力がちょっと不足している風なのが違和感の原因である様子。つまり、色々進めていくのは大変結構ではあるのだが、そこに巻き込まれてつぶされていく小さい多くの企業だとか人だとかがどうなるかをあまり考えていない節が嫌なのだろう。
世の中もっと企業は巨大化すべきなのだろうか。小さい規模でも多様化して、吊しのものだとかお仕着せのものではない、自分に合ったものを皆が使えるという世界は不幸せなのだろうか。もう少し人の社会は疎になったほうが、不便ではあるが幸せなのではないか、とも。便利って幸せ？
利便性だけを追いすぎた機械「ビジネスマシン」にはなりたくないなぁ。食えないのは困るけど、せめて人間でありたい。
&#160;
そうそう、年度が切り替わった。年度なんていうのは旧体制的だし自分で会社なんぞやってるともうどうでもいい話ではあるのだが、気分を切り替えるには年始と同じくいいタイミングである。某講演は良い刺激と思ってまた思索と試作を繰り返す日々を進むことにしよう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://unos.biz/blog/wp-content/uploads/2010/04/IMG_3868.jpg"><img title="IMG_3868" style="border-right: 0px; border-top: 0px; display: inline; border-left: 0px; border-bottom: 0px" height="287" alt="IMG_3868" src="http://unos.biz/blog/wp-content/uploads/2010/04/IMG_3868_thumb.jpg" width="420" border="0" /></a> </p>
<p>今年はやたら多忙になってしまって、果たして「花見」といえるような花見に行けるかどうか怪しい。そんな中とりあえず花を見ようと予定の合間に花園神社に立ち寄ってみた。</p>
<p>花は満開、散り始める直前といった風情。そんな中木の幹から直接咲いている花ばかり撮ってしまいがちなのは性格の現れなのだろうか。</p>
<p>&#160;</p>
<p>3月末くらいの某有名社長の講演を見た。ものすごい実力がある人の話だし、理屈に結果が伴っているし、そういう意味ではかなり感銘を受けたものの、感情が違うと言う。   <br />何が違うのだろうとちょっと考えてみたのだが、実力に対して想像力がちょっと不足している風なのが違和感の原因である様子。つまり、色々進めていくのは大変結構ではあるのだが、そこに巻き込まれてつぶされていく小さい多くの企業だとか人だとかがどうなるかをあまり考えていない節が嫌なのだろう。</p>
<p>世の中もっと企業は巨大化すべきなのだろうか。小さい規模でも多様化して、吊しのものだとかお仕着せのものではない、自分に合ったものを皆が使えるという世界は不幸せなのだろうか。もう少し人の社会は疎になったほうが、不便ではあるが幸せなのではないか、とも。便利って幸せ？</p>
<p>利便性だけを追いすぎた機械「ビジネスマシン」にはなりたくないなぁ。食えないのは困るけど、せめて人間でありたい。</p>
<p>&#160;</p>
<p>そうそう、年度が切り替わった。年度なんていうのは旧体制的だし自分で会社なんぞやってるともうどうでもいい話ではあるのだが、気分を切り替えるには年始と同じくいいタイミングである。某講演は良い刺激と思ってまた思索と試作を繰り返す日々を進むことにしよう。</p>
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		<item>
		<title>知識が増える=最適解、ではない</title>
		<link>http://unos.biz/blog/archives/481</link>
		<comments>http://unos.biz/blog/archives/481#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 04 Mar 2010 23:57:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ゆのじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[思想]]></category>
		<category><![CDATA[日常]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
専門的な手伝いなんて期待できない零細企業なんぞやってるものだから、どうしてもあれこれと幅広くやらざるを得ない。やるからには一応押さえるべきレベルまで押さえないと気が済まないので、気がつくと膨大な時間をかけて膨大な知識を仕入れることになる。
だが、こうやって大量に知識が入ってくること自体はうれしいのだが、それだから最適解が得られるわけではない。かえって、選択肢が少ないほど最適解だったりするのが現実だ。
変な知識ばかり得て、かえって遠回りをしないためにも、最適解たるための条件をきちんと自分で理解して選択していくようにしたい。マクロに見て、ミクロに見て、斜に見たりひっくり返してみたりしながら最適解を求めることを日々繰り返すことで、きっと脳には最適解検出エンジンが構築される。これこそが「眼」といわれるやつなのだろう。ぱっと理由は言えないけれど、なんとなくいい、悪いがわかるというやつだ。
その何となくには突き詰めれば大量の根拠が埋まっている。幅広く柔軟に、眼を鍛えていきたい。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img title="新旧Arduino。新しい方は一部チップ部品化されたりITAシールがはってあったりする。" style="border-right: 0px; border-top: 0px; display: inline; border-left: 0px; border-bottom: 0px" height="315" alt="新旧Arduino。新しい方は一部チップ部品化されたりITAシールがはってあったりする。" src="http://unos.biz/blog/wp-content/uploads/2010/03/arduino.jpg" width="420" border="0" /> </p>
<p>専門的な手伝いなんて期待できない零細企業なんぞやってるものだから、どうしてもあれこれと幅広くやらざるを得ない。やるからには一応押さえるべきレベルまで押さえないと気が済まないので、気がつくと膨大な時間をかけて膨大な知識を仕入れることになる。</p>
<p>だが、こうやって大量に知識が入ってくること自体はうれしいのだが、それだから最適解が得られるわけではない。かえって、選択肢が少ないほど最適解だったりするのが現実だ。</p>
<p>変な知識ばかり得て、かえって遠回りをしないためにも、最適解たるための条件をきちんと自分で理解して選択していくようにしたい。マクロに見て、ミクロに見て、斜に見たりひっくり返してみたりしながら最適解を求めることを日々繰り返すことで、きっと脳には最適解検出エンジンが構築される。これこそが「眼」といわれるやつなのだろう。ぱっと理由は言えないけれど、なんとなくいい、悪いがわかるというやつだ。</p>
<p>その何となくには突き詰めれば大量の根拠が埋まっている。幅広く柔軟に、眼を鍛えていきたい。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>偉そうな言葉で発言者を縛れ</title>
		<link>http://unos.biz/blog/archives/464</link>
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		<pubDate>Thu, 04 Feb 2010 19:16:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ゆのじ</dc:creator>
				<category><![CDATA[思想]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
偉そうに「だ・である」調で駄文を書き散らしている私ではあるが、なるべく偉そうな上から目線の発言は避けたいと思ってきた。それは、そもそも私自身が上から目線で語るほどのものを持っていると思ってはいないし、そういう言い方をしてしまうと視野が狭まる気がしていたからなのだろう。
だが、最近は少し偉そうな言葉を吐いてもいいのではないかという気がしてきている。といっても誰かに上から目線で物を言うわけではなくて、自分はこういう人間でこういうことをしているのである、マル。というようなことを言った方がいいのではないかということだ。こういう事を言ってしまうと、それは自分自身の言葉で自分自身を縛ることになるし、前段で書いたように視野が狭まる怖れもある。だが、広すぎる視野を持ちながら破綻させないことは至難の業、私の場合いささか破綻してしまっている。そこを持ち直すためにも、まずとっかかりを作ることが必要なのではないか、そういうことを考えたわけだ。
視野が広がりすぎという話だと、集中力も些か不足してしまっている。ちょうど、ゆっくりと動きながら高速でこなす、一流の研究者の Doing リストという記事を読んだばかりなので、ToDoを書き出すフェーズと作業を行うフェーズを明確に分離して、余計なことに気を取られないようにしてみているが、思いの外うまく働いている。時間も予算も集中力も売り切れ気味な今、せめて発散してしまいがちな意志を道具の力で集約させてみるのも悪くない。
&#160;
余談。写真はPENTAX auto110という古い古いカメラ。友人のO氏に一時貸していただいているもの。すでに110フィルムは全てのメーカーで製造終了してしまったようなので、慌ててフィルムを買いあさっているところである。良いカメラなのだが、コンデジが悪くない今、すでに出番は失われているのかもしれない。   だが、110フィルムのような超小規模でなおかつそれなりにファンがいて固定ニーズが見えそうな(110が実際そうなのかは全然調べていないけれど)市場に、元々より若干高い、程度で商品を流せるようなことが出来ないのだろうか、とか思うこの頃。製造現場まで考えるとそんな甘い話じゃなくて１桁も２桁も値段が変わるだろうな、とは思うのだけど、知恵でどうにかならんものか。    知恵を金に換える錬金術師の私としては、長期的に考えていきたい分野の１つである。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img title="PENTAX auto110" style="border-right: 0px; border-top: 0px; display: inline; border-left: 0px; border-bottom: 0px" height="280" alt="PENTAX auto110" src="http://unos.biz/blog/wp-content/uploads/2010/02/IMG_3401.jpg" width="420" border="0" /> </p>
<p>偉そうに「だ・である」調で駄文を書き散らしている私ではあるが、なるべく偉そうな上から目線の発言は避けたいと思ってきた。それは、そもそも私自身が上から目線で語るほどのものを持っていると思ってはいないし、そういう言い方をしてしまうと視野が狭まる気がしていたからなのだろう。</p>
<p>だが、最近は少し偉そうな言葉を吐いてもいいのではないかという気がしてきている。といっても誰かに上から目線で物を言うわけではなくて、自分はこういう人間でこういうことをしているのである、マル。というようなことを言った方がいいのではないかということだ。こういう事を言ってしまうと、それは自分自身の言葉で自分自身を縛ることになるし、前段で書いたように視野が狭まる怖れもある。だが、広すぎる視野を持ちながら破綻させないことは至難の業、私の場合いささか破綻してしまっている。そこを持ち直すためにも、まずとっかかりを作ることが必要なのではないか、そういうことを考えたわけだ。</p>
<p>視野が広がりすぎという話だと、集中力も些か不足してしまっている。ちょうど、<a href="http://lifehacking.jp/2008/03/doing-list/" target="_blank">ゆっくりと動きながら高速でこなす、一流の研究者の Doing リスト</a>という記事を読んだばかりなので、ToDoを書き出すフェーズと作業を行うフェーズを明確に分離して、余計なことに気を取られないようにしてみているが、思いの外うまく働いている。時間も予算も集中力も売り切れ気味な今、せめて発散してしまいがちな意志を道具の力で集約させてみるのも悪くない。</p>
<p>&#160;</p>
<p>余談。写真はPENTAX auto110という古い古いカメラ。友人のO氏に一時貸していただいているもの。すでに110フィルムは全てのメーカーで製造終了してしまったようなので、慌ててフィルムを買いあさっているところである。良いカメラなのだが、コンデジが悪くない今、すでに出番は失われているのかもしれない。   <br />だが、110フィルムのような超小規模でなおかつそれなりにファンがいて固定ニーズが見えそうな(110が実際そうなのかは全然調べていないけれど)市場に、元々より若干高い、程度で商品を流せるようなことが出来ないのだろうか、とか思うこの頃。製造現場まで考えるとそんな甘い話じゃなくて１桁も２桁も値段が変わるだろうな、とは思うのだけど、知恵でどうにかならんものか。    <br />知恵を金に換える錬金術師の私としては、長期的に考えていきたい分野の１つである。</p>
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