かしめ工具

先日知人と「道具」について語ったことがあった。いろいろ便利なモノは世にあれど、「道具」になってるものは少ないよね、と。もちろんここでいう「道具」はその会話の上での狭義の「道具」であり、使用者の頭と腕次第で幅広く使えるモノ、といったニュアンスで会話をしていたのだが、つまり作成者が想定した目的にしか使えないモノだらけでしょーがないこった、という会話をしていたわけだ。逆に言えば使用者の教育レベルが上がらないと使えないモノが減ってるなぁという話。

もちろん、ほとんどの高度なモノは目的を達成するためにあるのであって、目的を達成するために道具について熟練しないといけないとなると主従逆転本末転倒、それこそどーしようもない。だから大抵の場合それでいい。だが、すべてそうなってしまうと、手になじんだ「道具」が全然なくて、それはなんだか刹那的で厭だなと思う。

なんでそんな話を今更というと、昨日なんとなくテレビを見ていて、時計師という職業の一片に触れたことでトリガーが引かれた感じ。テレビなので脚色はあろうが、時計師という仕事はまず仕事道具を作るところから始まるのだそう。ピンセットやドライバーから始まり、大きい工作道具も作ってしまうように見えた(これは特に番組中では語っていない。本筋じゃないし)。道具を作るというのは大事だな、と思うと同時にシナプス発火的に思い出したのは下のムービー。ハンドメイドの真空管を作っている人だそうな。この人もムービーを見る限り、相当数の自作ツールを使っている。

物作り屋、を名乗りたい身としては、こういった道具も本当に使いやすいものを使うべきなのだろうと思う。特にここのところ、ほしい道具のイメージがあってもモノがない、ということが多い。そこで「ないなら作れ」という発想が出てきていなかったのは怠惰でしかない。反省とともにやる気がわいた。

誤解を恐れず言うと、テレビ番組はほとんどはただ隙間を埋めるためだけに作られた、新聞を丸めた緩衝材のようなものだと思っている。そもそも毎日朝から深夜までの枠を新しい番組で埋めて、しかもクオリティの高い番組で埋めることなんてできやしないし意味もない。それでも隙間を埋めているのだからクオリティなんて高いわけがない、というのが持論だ。
だが、中にはこういった脳へのトリガになってくれる番組もある。特に今回のような話は自分から情報を取りに行ったのではなかなか得られないタイプのトリガだったわけで、そういう部分ではテレビ侮りがたしと言える。ペイパービューになって、どの番組も品質が高い内容、になってくれるとよりありがたいのだけれど。

追記:ちょっと表現改めました。

Something to say?