Archive for 4月, 2009

日本はダメらしいという話

Posted by ゆのじ on 4月 30th, 2009

image

とある割と有名な人が、もう日本はダメだ、というようなことをblogに書いていて、別の有名な人がそれに同調したりしてる。見てる限り、そこに共通するのは、割と金銭的に成功していたり(つまりそれなりに必要十二分な収入を得られていたり)、知名度があったりとまぁそういう感じの人が書いているということ。そういう立場まで進んでいった運と実力は素直に認めるしすごい努力の賜物であったりするのだろうと思うけれど、書いてる内容はそういうエライ人にしちゃ思慮が足らないんじゃないかと思う。

日頃から私が口癖のように言ってる言葉に、無理と口に出した瞬間それは不可能になる、というのがある。無理だと言わず続けることこそ、看板のような武器を背負っていない人でも使える壁を突破するための手段なのだ。もっとも、そういう前提である以上、強烈な看板であるとか運であるとか実力であるとかを持つことが出来たエライ人にはそういうのは多分わからないのだろうなとも思う。わからないなら思慮もなにも出来るわけがない。思慮は知ることから始まるからだ。

しかし、だ。そういった所謂「高いところ」にいる人は概して声がでかい。遠くまで声が届いてしまう。そういった人が、世の中の端々にいる、まだ自分で考えること(特に、物事をマクロに俯瞰的に見て考える、100年以上のスパンで考えること)が出来ていない人にも諦観に近い考えを振りまいてしまうのはどーなんだろう、浅はかなんじゃないだろうか。

いや、別に人生は常に戦場だとか、周りはすべて敵でカモだ、とか、人を見たら泥棒と思え(*)だとかいうアグレッシブな思考の持ち主で、24時間365日そういう感覚で生きていけるごく一部のborn to killな人々はそういう考え方が正しいと思うのだが、いかんせんblogやらなにやら、ウェブのメディアは誰にでも話が読めてしまう。仕事じゃないから読者層を意識しなくて良いのは確かだけれど、声がでかいという自覚があればそこは意識するべきで、それが声がでかい人の資格ではないかと私は思う。自由の裏側には責任があるというのはこのことで。

(*)これは言い過ぎ。

翻って、今の日本のシステムを見ると、確かにどうもダメっぽい気はしている。本当に必要そうなところにはお金が落ちていなくて、本当にお金が必要になる人たちはお金を生み出さないでしこたまため込むだけ。将来に対する不安なり、政治に対する不信があるからため込むわけで、それを取り除けばいいのにとは思うが、強大な意思の塊になってしまった日本という構造は政治家では太刀打ちできないくらいの強さを持ってしまったようだ。

さて、どうするのか。妙案は浮かばないが、無理といわず、まずはちっと人を信じてみるところから始めてみたらどうだろうね。日本はそう簡単に変わることは出来ないだろうけど、そう簡単に転けもしない。あんまり焦らず、考え続けることが大事なんじゃあるまいか。何、政府が転けても飯には困らないと思う。周りはすべて敵でカモだと思っていなければ。

余談を追記。餓鬼のうちは、わーいベンチャーだお金儲けだー、とか思っていた時期もあったが、結局世の中の「金」の仕組みと意味合いを考えるに、大抵の枠のでかい金儲けの話は泥棒の計画と大差ないような気がしてきてどーにもこーにも興味がない。FXやらも株やらも、短期で扱うなら同じ臭い。どれもこれも人の財布から小銭ちょろまかした大金財布に突っ込んで楽しいのだろうか。いや、楽しいならいいのだが、やるならどっか遠い島でやって欲しいのが正直なところ。金払うところには払うから、サービスなり商品と金がちゃんとリンクしていて払う側がちゃんと理解したところで払わせて欲しい。じゃないと詐欺だぜ。

コトは重なったりするもの

Posted by ゆのじ on 4月 27th, 2009

R0012167

昨日の友人との会話。悪いことは重なるもんだね、という話をした。金融市場が崩壊して世界中の経済がガタガタ、そんな中に今度の豚インフルエンザ。これがある程度広がってパンデミックの様相を呈してきたタイミングで地震でも起きればロイヤルストレートフラッシュだ。相当なダメージがあることは間違いなかろう。

すでに現在の時点でいろいろな伏線はすでに張られているように思うし、そんなことになったら本当の意味で「自力で」飯を食わざるを得ない。そういう危惧に対応するため(という言い訳で財布への食費負荷を低減するためであったりもするが)、今年は随分色々な野菜を植えているし、保存の効く食材(豆の類や乾物類、缶詰類)もある程度備蓄しようと考えている。そうこうするうちに、随分出費を押さえられるようになってきた。

そんな試行錯誤を重ねつつ考えてみると、結局のところ、先進国的な文明的生活を送ろうとすることが、ちょっとした外的要因ですぐ揺さぶられるし、職が安定しなければ飯が食えないという状況を作るのかもしれないと気がついた。野菜なんて日の当たるベランダすらないというケースを除けば1日10分程度の時間を割ければ十分育つし、ポイントさえ押さえれば(株ごと収穫する手合いは育てないとか、実生から育てる方がいいのか苗から育てる方がいいのか、接ぎ木苗にすべきか、土が疲労しづらい育て方かどうか等々)元はきちんと取れる。そうやって食い物に困らない状況を作っておけば、後はわりとどーにでもなる、のではないだろうか。

そんなことを考えつつ、今日は野菜の苗を買いつつ、\380で売っていたベタに一目惚れして買ってきた。人間万事塞翁が馬と言うが、まぁ深く考えすぎても人間1人の出来ることなどたかがしれている。問題は、コトが起きたときにどうにでもできるだけの地盤を作っておくことなんじゃなかろうか。

余談。コト=悪いことのように書いたが、経験上良いことも重なることが多い物。悪いことばかり重なるように思っているのであればそれは考え方がと悲観的に過ぎるだけのことだろう。良いことも悪いこともあっての世の中、楽しく生きるなら、せめて楽観的に。

余談の余談。そんなことを言いながら、うちの分だけはF95マスクだとか二酸化塩素系殺菌剤だとかをamazonに発注した。備えあればうれしいな、というやつだ。楽観視するための地盤への投資は忘れずに。

Y150内覧会

Posted by ゆのじ on 4月 24th, 2009

本日はメンテナンス

友人M氏よりY150内覧会のチケットが余っているとのありがたいお言葉、一緒に連れて行ってもらった。目当てはもちろんラ・マシンのレ・メカニック・サヴァント
だが結果は上の写真の通り。大変遺憾であったが、写真を何枚か撮って満足することにする。

遺憾ながら他の出し物も一通り見てみることにしてあちこちをぶらついてみると、開国150周年とあって、あちらこちらからペリーの物真似らしき怪しい外人訛りの日本語が聞こえてくること聞こえてくること。大昔に流行ったコレを思い出してしまってしょうがない。肝心のコンテンツは、設備系にお金を投げ込みすぎて予算がなかったのかいまいちな物が多い感じ。それに加えて、イベント開催場所があまり広くない複数の会場に分散されてしまっているせいで密度も低い印象を受けた。

割とがっかりしながらも、端っこのほうのNISSANブースにはスーパーハイビジョンシアターがあるというので行ってみる。確かにスーパーハイビジョン(7680×4320ピクセル)は恐ろしく綺麗だったが、どこかでこの話を聞いたことがあるような気がして検索してみると、2005年のNHK放送技術研究所の出し物ですでに出ている物。これのコンテンツ焼き直しが今回のシアターとなるようで、新しい物感はあまりない。
ハイビジョンシアターの後は自動的に(途中で抜けられない!)NISSANの広告用映像を座って見るコーナー。NISSANの夢物語が延々と語られるが、そのコンテンツの裏には企業利益があからさまに見えすぎていて、見ていて気持ち悪くなる。子供向けということらしいが、ああいうコンテンツを子供に見せていくことで子供から思考能力を削り取ろうということなのか。企業姿勢に疑問を感じる。
その次は自動的に(これも途中で抜けられない!!)木の葉形状に切り抜かれた薄紙に自分がエコロジーに貢献すること、を書くコーナーへ。エコロジーは大切だと思うが、そもそもごく一部の車を日常的に使う人をのぞけば、首都圏における車エコロジーは「買い換えないで大切に乗る」ことだと思うし、そういう観点からすればNISSANのやっていることはエコじゃなくエゴ。そう考えると何も書く気がせず白紙投票することにして会場を後にした。
木の葉状に切り抜いた紙の残り滓の行方を考えてもエコなのかエゴなのか大変疑問だし、全体的に質の悪いプロパガンダだと思う。

その後気候も良かったので、フラフラと散歩しつつ秋葉原へ出て久しぶりにジャンク屋巡り。随分前からリチウムイオンのRCR123だとかを売ってる場所を探していたのだが、なんと秋葉原だとジャンク屋で扱っていたことを知る。ヤフオクで買うしかないかと思っていたのでこれは大収穫。やはりまっとうな店だと扱いのミスで火災にもなるリチウムイオンの生セルは怖くて売れないということなのだろう。充電器ももちろん売っていたので、今度買うつもり。

なんというかその。日頃運動不足の私には大変いい運動になりました、天気も良かったし。というオチであった。でもレ・メカニック・サヴァントを実際に見て大きさを感じて機構をよく見ることが出来たのは収穫。ありがとうございました>M氏