baseball

昔からの日本の風潮ではあるものの、最近は世間から人を追い出す閾値のストライクゾーンがやたら広くなっているんじゃないかと思う。責任と自由はセットだと思うが、その比率が狂ってきているというか。一度のミスが即時アウト、ゲームセットでは、人と違う動きなんて出来やしないし、人と違う動きをしてうまくやってるやつは目障りだ、とっとと世間から出て行けということになる。つまり、出る杭は打たれるし、金槌を持つと周りはみんな釘に見える、ということか。

そうかと思えば、経営のためなら何をやってもいいと思う人間も多くなってきている。社員を守りたい気持ちは経営者の末席の末席にいるものとしては大変に理解できることではあるが、そこまでして守りたい根拠は結局上に書いた即時ゲームセットという世の中に起因するのではないか。何歳になっても会社が転けても、自分の持っている能力で食えたり、新しい能力を得れば食う方法が手に入るような社会になれば良いと思うのだが。

世間やら周りに角を立てて波風立てて生きていこうというつもりは更々ないが、こういう風潮をニュースから感じるたびに世の中とのギャップに息が詰まりそうになる。この流れで行ったら極々少数の人間が世の中を握ってしまい、のこりのすべての人間がロボット化、もとい消費材となってしまう。すでになっている、といってもいいかもしれない。

それなのに、世の中ほとんどそんな雰囲気だというのに、誰も危惧を感じないのだろうか、枝葉末節への意見は多いのに環境自体への意見はあまり見られない。人間は変化に対応する強さすら捨ててしまったのだろうか。それとも長年の奴隷化教育のせいで危険察知能力がなくなったのか。もしくは強烈な諦観なんだろうか。

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