PENTAX auto110

偉そうに「だ・である」調で駄文を書き散らしている私ではあるが、なるべく偉そうな上から目線の発言は避けたいと思ってきた。それは、そもそも私自身が上から目線で語るほどのものを持っていると思ってはいないし、そういう言い方をしてしまうと視野が狭まる気がしていたからなのだろう。

だが、最近は少し偉そうな言葉を吐いてもいいのではないかという気がしてきている。といっても誰かに上から目線で物を言うわけではなくて、自分はこういう人間でこういうことをしているのである、マル。というようなことを言った方がいいのではないかということだ。こういう事を言ってしまうと、それは自分自身の言葉で自分自身を縛ることになるし、前段で書いたように視野が狭まる怖れもある。だが、広すぎる視野を持ちながら破綻させないことは至難の業、私の場合いささか破綻してしまっている。そこを持ち直すためにも、まずとっかかりを作ることが必要なのではないか、そういうことを考えたわけだ。

視野が広がりすぎという話だと、集中力も些か不足してしまっている。ちょうど、ゆっくりと動きながら高速でこなす、一流の研究者の Doing リストという記事を読んだばかりなので、ToDoを書き出すフェーズと作業を行うフェーズを明確に分離して、余計なことに気を取られないようにしてみているが、思いの外うまく働いている。時間も予算も集中力も売り切れ気味な今、せめて発散してしまいがちな意志を道具の力で集約させてみるのも悪くない。

 

余談。写真はPENTAX auto110という古い古いカメラ。友人のO氏に一時貸していただいているもの。すでに110フィルムは全てのメーカーで製造終了してしまったようなので、慌ててフィルムを買いあさっているところである。良いカメラなのだが、コンデジが悪くない今、すでに出番は失われているのかもしれない。
だが、110フィルムのような超小規模でなおかつそれなりにファンがいて固定ニーズが見えそうな(110が実際そうなのかは全然調べていないけれど)市場に、元々より若干高い、程度で商品を流せるようなことが出来ないのだろうか、とか思うこの頃。製造現場まで考えるとそんな甘い話じゃなくて1桁も2桁も値段が変わるだろうな、とは思うのだけど、知恵でどうにかならんものか。
知恵を金に換える錬金術師の私としては、長期的に考えていきたい分野の1つである。

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