92式地雷原処理用ロケット弾

思いつきをつらつらと。

ITというか、システム化というものは手間を減らして間違いも減らして、総じて無駄をなくすための投資だと考えてきた。この考えは原則的には今も変わっていないし自分の会社の根幹をなす考えでもある。

だが、最近そこに違和感がある。日本だけでも数千万人の仕事をしたい人がいる。そのうちいくらかは仕事に就けていない。それはその人の能力が足りないことも原因ではあるだろうし、人として問題がある人もいるだろうが、自動化されてしまうことでその人の能力でつける仕事がなくなってしまったことも少なくないのではないだろうか。きわめて単純な、機械にもできるような仕事が昔は人の仕事だったのだ。

むろん、システム化に反対だと言うわけではない。システム化することによって仕事をなくした人は今度は何をやれば良いのだろうということが気になるのだ。コンビニやスーパーのレジうちはいずれ機械化されるだろうし(すでにある程度されている例はある)、交通整理の人参振りだってどんどん機械化されている。昔は重労働だった経理の計算だってとうの昔にソフト化されたし、そう考えれば自分の仕事は人に仕事を失わせることなんだろうなとも考えてしまうわけだ。

これまでは良かった、のかもしれない。グーテンベルクが活版印刷機を発明したおかげで、それまで手で本を書き写していた人は大量に失職しただろうが、それを超えて経済がふくらんでいた時期、もしかしたら別の仕事があったかもしれない(なかったかもしれないが)。だが、今はもう経済を虚構レベルでふくらませすぎた時代、もうこれ以上経済活動を広げる余地があるのだろうか。正直そこには期待できる気がしない。

そんな中、最近羽振りがいいソーシャルなんちゃらの類は、そんななかで仕事を失うか失わないかギリギリの人の不安感、共通の話題を持ちたい希望、人と同じなら何とかなるだろうという思い、そんなのをエサに金を回してるんじゃないかなんて思ってしまうのは言い過ぎか。

自分と自分ちのケツを十二分に拭けていない状態で偉そうに大上段から構えるのもよろしくないが、そんな虚業で稼いだアブク銭で飯を食ってもウマくない、どうしたらウマい飯が食えるかなぁと考えている。

いや、苦労すりゃエライなんていうつもりは全くないんだけどね。

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