一人でなんでもこなすような作業をしていると、脳の中にも多くのタスクが走っていることを感じることがある。もちろん比喩的な意味で。
例えば「デザインをする」タスクは、見栄えだとか位置だとか色だとかを多角的に分析してそれらの調整をしたりしている。必要に応じて画像を作ったりもする。例えば「プログラムを書く」タスクは、関連する多くのライブラリの関数を覚えていて、ロジックをどんどん書いていく。例えば「文章を書く」タスクは、脳内の語彙をフル稼働させて文章を書いていく。これらのタスクが完全に平行して走ることが望ましいのだが、実際はそんなことは全然ない。たとえ、Webアプリケーションを作っている途中で、それらが密接に関わっているとしてもやっぱり違うタスクを使っている。そして、これらのタスクを切り替える、コンテキストスイッチングには結構な時間がかかる。言い換えれば「ゾーン」状態になったあるタスクから、別タスクに切り替えたとき、一瞬「ゾーン」状態から抜けてしまうというか。
そう考えると、効率よく作業を進めるには今のように平行で作業をすすめていくよりは、1)全体のロジックを書く。デザインは最低限(パーツだけ置く)、2)見た目を整える、3)必要な文章を足す、というように全体を作業科目ごとに分割して作業する方が効率が良さそうだ。
でも実はこれにも欠点があって、できあがりが見えてくるまでモチベーションが上がりづらいのだよな。常にモチベーション高く作業に当たれるわけでも無し、モチベーション重要。作ってるものが見えないで淡々と作業をするよりは、がんがん見た目、プログラム、見た目、プログラム、、と見えるように作り進める方が性に合っている。
妥協点探しは常に続く。
松濤での打ち合わせの後の電車内で、加賀谷氏とおもしろインタフェイスについて語る。脳波などを用いて思考を直接吸い上げることで、キーボードやマウス、ディスプレイといったヒューマンインタフェイスが、ブレインtoコンピュータ、になっていくのではないかといったとりとめのない話だったが、世の中の新しい物は、旧時代では馬鹿にされていた発想だったりする。きれいごとの夢物語はなかなかうまくいかないのだろう。