Archive for the '思想' Category

必要なものを、必要な状態に、いつも。

Posted by ゆのじ on 6月 26th, 2010

現実逃避中。

 

先のポストで、メモリを足してHDDをSSDに変えた、と書いた。その結果、これまで「起動時に同時に立ち上がってほしいんだけど重いのはいやだから」とstartupにいれていなかったevernoteをstartupに入れたり、重いから仕方なく同時起動していなかったVisualStudioとeclipseを何も考えずに起動したりと、大変ストレスが減ったように感じている。

つまるところ、前々から富豪的だと指摘され続けている、ブラウザにタブを大量に開いて(しかもSafariとFirefoxとIEと同時に開いて)動作を確認しつつ、裏のVMWareで動いているLinux上のファイルをeclipseで開いて編集してやって、画像が足りなかったらそこでおもむろにPhotoshopとIllustratorを立ち上げる、なんてことが、何も気にすることなくできるようになった。

そもそも、ユーザ目線の私(*)からすればコンピュータは「最低限」こうでなければならないものだった。それがやっとかなった、そういう気がする。いずれまたいろいろ足りなくなってきてしまうのだろうが、今は気分がいいので先のことは忘れておくことにしよう。

 

(*)エンジニア目線の私からしたら、あれもこれも無茶しやがって、なのだが、でもそれって作る側のエゴであって、自己満足にしかならない。モノがユーザのためにあるとするならば、エンジニア目線なんて忘れてしまうべきだ。

花見とか

Posted by ゆのじ on 4月 4th, 2010

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今年はやたら多忙になってしまって、果たして「花見」といえるような花見に行けるかどうか怪しい。そんな中とりあえず花を見ようと予定の合間に花園神社に立ち寄ってみた。

花は満開、散り始める直前といった風情。そんな中木の幹から直接咲いている花ばかり撮ってしまいがちなのは性格の現れなのだろうか。

 

3月末くらいの某有名社長の講演を見た。ものすごい実力がある人の話だし、理屈に結果が伴っているし、そういう意味ではかなり感銘を受けたものの、感情が違うと言う。
何が違うのだろうとちょっと考えてみたのだが、実力に対して想像力がちょっと不足している風なのが違和感の原因である様子。つまり、色々進めていくのは大変結構ではあるのだが、そこに巻き込まれてつぶされていく小さい多くの企業だとか人だとかがどうなるかをあまり考えていない節が嫌なのだろう。

世の中もっと企業は巨大化すべきなのだろうか。小さい規模でも多様化して、吊しのものだとかお仕着せのものではない、自分に合ったものを皆が使えるという世界は不幸せなのだろうか。もう少し人の社会は疎になったほうが、不便ではあるが幸せなのではないか、とも。便利って幸せ?

利便性だけを追いすぎた機械「ビジネスマシン」にはなりたくないなぁ。食えないのは困るけど、せめて人間でありたい。

 

そうそう、年度が切り替わった。年度なんていうのは旧体制的だし自分で会社なんぞやってるともうどうでもいい話ではあるのだが、気分を切り替えるには年始と同じくいいタイミングである。某講演は良い刺激と思ってまた思索と試作を繰り返す日々を進むことにしよう。

知識が増える=最適解、ではない

Posted by ゆのじ on 3月 5th, 2010

新旧Arduino。新しい方は一部チップ部品化されたりITAシールがはってあったりする。

専門的な手伝いなんて期待できない零細企業なんぞやってるものだから、どうしてもあれこれと幅広くやらざるを得ない。やるからには一応押さえるべきレベルまで押さえないと気が済まないので、気がつくと膨大な時間をかけて膨大な知識を仕入れることになる。

だが、こうやって大量に知識が入ってくること自体はうれしいのだが、それだから最適解が得られるわけではない。かえって、選択肢が少ないほど最適解だったりするのが現実だ。

変な知識ばかり得て、かえって遠回りをしないためにも、最適解たるための条件をきちんと自分で理解して選択していくようにしたい。マクロに見て、ミクロに見て、斜に見たりひっくり返してみたりしながら最適解を求めることを日々繰り返すことで、きっと脳には最適解検出エンジンが構築される。これこそが「眼」といわれるやつなのだろう。ぱっと理由は言えないけれど、なんとなくいい、悪いがわかるというやつだ。

その何となくには突き詰めれば大量の根拠が埋まっている。幅広く柔軟に、眼を鍛えていきたい。