Archive for the '思想' Category

ああやっぱり。

Posted by ゆのじ on 9月 17th, 2009

niku

後出しで「ああ、やっぱり」というのは簡単だが、今回の某健康油の件は本当に「ああ、やっぱり」という印象だった。

ばっさり言ってしまえば、その摂取しようとしているものは油脂なのだ。カロリーが高いから、それによって生存できる時間が延びるからこそ、人間は「うまい」と感じる。砂糖も然り。それを、うまさだけ残して(一度食べたがとてもじゃないがうまいとは感じなかったが)カロリーを減らそう、それどころか体についた脂まで落とそう、などというのがすでに何かおかしい。

太りたくなければ適度に運動すればいいし、運動出来ないなら食べる量を減らせばいい。ただそれだけのものなのに楽をしようとするからそうなるのだ(*)。怒っている人の、「食品会社はもっと十二分に検査をしてから商品化せよ」という気持ちはわからなくはない。だが、検査工程が増えれば増えるほどコストは上がる。だが、商品をもっと安くという要求をしたのは顧客だ。さらにいえば、その油を選ばない、という選択肢もあったのだ。危ない油を選択した側にも責任がないとはいえないだろう。

「うまい話には裏がある」という格言を思い出すといい。特に食品は長い蓄積によって体に影響を及ぼす物が多い。代謝や体内での化学変化、細菌による影響などわかっていないことも多く、時間と人数によるプルーフによって「枯れた」状態になるのを待つことしか、安心を得る手段はないのだ。

そういう意味では、遺伝子組み換えに嫌悪感を抱く人は多いのに某健康油を信じるような人は少なくないのが個人的には大変気持ちが悪いところ。どちらもまだ出てきて大した時間はすぎておらず、プルーフされたとは言えないはず。それなのに遺伝子組み換えが嫌いで某健康油は信用できそう、というような人は相当メディアに洗脳されているのだろう。もし首の上に乗っているのが頭脳であるならば、きちんと使ってやった方がいい。特保なんてものがついていたって、よしんば国が何らかの保障をしてくれる運びになったとしても、何かあったら過ぎた過去は戻らない。

 

しかし、健康系アーリーアダプターな人によって我々健康系安定待ちな人が安心を得るという面もあるのだな。命を張ってトライするなんてありがたいことこの上ないのだよなー。いやあ、ありがたいありがたい。

 

(*)近隣から突っ込みが入る前に言っておくと、私はうまい物をくって運動をしないので若干ふくよかなのは自覚している。だが、気持ち悪いものを食ってまで痩せるくらいなら牡蠣30個くらい食って食あたりで痩せたい所存w

入出力比が変わってきた

Posted by ゆのじ on 9月 4th, 2009

半月ほど前に、「最近の自分の傾向を分析するに、インプット過多な時期に来ているようだ」と書いた。やっとそれが結果を出しつつあるのか、単に一杯になっただけかはわからないが、9月に入ってこの感覚が逆転しつつあるように思う。5月くらいまではアウトプット寄りだったことを見ると、四半期くらいの周期で動いているのかもしれない。

世間が景気が悪いことのあおりを受けてかどうかはわからないが、公私ともに割と厳しい状況にありながら、こうアウトプット優勢になってくると気分も良くなってくる。あわよくばこの調子で固着していたあれこれが動き出すことを願いたい所。

 

このところ、自分が動こうとしたり人を動かそうとするたびに、人の意志の力にかかっている慣性モーメントの大きさに閉口する。力でやってても埒があかないものだろう、合気道的に、うまく支点を作ってやってうまく向きを変えられないか、そんなことを考える。それもそれで長期の修練が必要なのだろう。急がば回れとはよく言った物だ。

イノベーションとか星座とか

Posted by ゆのじ on 8月 15th, 2009

constellation

イノベーションは突然何の脈絡もなく閃くものではなく、それまで積み重ねたいろいろなものがあるとき突然形となって現れる、というような話を読んだのは「イノベーションの神話」だったか。なるほどと思った記憶がある。

それを言い訳にするわけではないが、最近の自分の傾向を分析するに、インプット過多な時期に来ているようだ。政治や経済という状況だけではなく自分の問題として、これまで重ねてきたナレッジでこれまでやってきた業種ではそろそろ食えなくなってくるという予感がある。その予感を信じて業態の舵を切ろうとしつつあるのだが、やはり住み慣れた世界から知らないことの多い世界へ踏み込むということはそう安易ではない。安易ではないだけに資料を集めて脳内で再構成してやる必要があって、多量のインプットを必要としている感覚がある。

イノベーションが現れるというのは、星を見ていて何かの形をふと見いだすのに似ているかもしれない。今日、ペルセウス座流星群の終わりかけが撮れないか空の写真を撮っていてふとそう思ったのだった。当然のことながら、極大日の翌日でも見えたらしい今回の流星群、さすがに翌々日では全く痕跡のかけらもみえやしなかったのであったが。