Archive for the '日常' Category

薬罐で湯を沸かす

Posted by ゆのじ on 11月 10th, 2008

 引っ越してから知ることになったのだが、自宅の100V配線は部屋が4部屋あるにも関わらず、すべての部屋の壁面コンセント(エアコン系のぞく)が1つの配電盤系統(20A)につながっているというかなりトンデモな配線になっている。そのため、せっかく50A契約にしているにもかかわらず、消費電力の大きい機械(電子レンジ、食洗機、電気ポット、伏兵としてウォシュレット)はトータル負荷を考えながら使わなければならないことになっている。単純に言えばそれらを2つ並行して動かすな、ということなのだけれども。

 そして最近は急激に寒くなって体調を崩す人が増えている。身の回りでも、風邪まではいかないものの腹を冷やすとトイレとお友達になってしまう人が増えている。そうなると、誰かがトイレとお友達になっている間、いくら暖かいお茶を飲みたいとおもっても電気ポットを使うのは危険が伴うことになる。寒いのに。

 そこで、昔買ったもののほとんど使われることなく仕舞われていた薬罐を出して湯を沸かすことにした。

 結論から言うと、薬罐、いい。もっと言うと、ガス火、いい。電気ポットと比べると、ガスコンロというのは熱がやたらめったら逃げている(お湯を沸かしてるんだか部屋を暖めてるんだか、というほど熱は逃げている)構造なので熱効率はすさまじく悪いのは知ってるし、お湯が沸くまでの時間も長めだ。だが、目の前で薬罐が火にあぶられて湯気を出している様なんてのは、なんというか理屈抜きで良い。これが火鉢や囲炉裏に鉄瓶だったりするともっといいのだろうけれど、それに近い何かがある気がする。

 エコだなんだ、利便性ばかり追いかける社会になってしまったけれど、もう少しゆっくりと、エコじゃなくても(*)必要なだけしか消費しないようにする、というのも考えてみるべきなんじゃないだろうか。特に、GNPやら売り上げやら利益率ばっかり見てる人、お金となーんにも関係ない状態になったら何がイイのか、考えてみるといいと思う。

そして茶(*)がうまいなぁ。。

(*)尤も、企業の推し進めるエコは裏がありすぎてエコ以前に嫌いなんだけれど。
(*)うちの茶は荻窪駅前の繁田園のほうじ茶。週末になると店の主人が店先で焙煎していてとても香りがよい。繁田園2FのBROWN CHIPもおすすめ。

ラジオのある生活

Posted by ゆのじ on 11月 5th, 2008

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 最近、テレビの時間を減らして、代わりにラジオを聞くことにしてみたところ、これが割と良い感じ。

 聞いているのは主に、というか完全にNHK第一のみ。夜中もラジオ深夜便でやっているし(24時間延々人がしゃべるコンテンツで埋まっているというのはこれまで知らなかった!)、なによりも視覚を持って行かれないだけでなく、内容を理解するためにあまり頭を使わなくて良いのも良い。深夜トラックの運転手が聞いたりするシーンを考えてのことだろうが、他の作業をしながらでも聴けるのは大きい。

 そして昨日、ラジオ生活をより楽しむために、それまで使っていた目覚まし時計兼ラジオの代わりにちょっと古いYAMAHAのチューナーを引っ張り出してきた。白木ケースにシルバーのフロントパネル、電源を入れるとメーター類がほのかに光る。なんだかそれだけで落ち着く。

 利便性ばかり追い求めると人間性が欠けるんじゃないか、もっと不便でも人っぽいモノの方がいいんじゃないか、なんて思ったこの頃。便利なのは好きだし、いいことだと思うけどね。

追記:
その後続けているが、仕事中も流しておくと「喫茶店や電車の中だと集中力が上がる」的な効果が得られるような気がしてきた。良い感じ。

フレームワークの好き嫌い

Posted by ゆのじ on 11月 3rd, 2008

 MVCフレームワークのような、モノを作るにあたって煩雑になりがちな部分を吸収してくれるライブラリを嫌う人が時々いる。その嫌いな理由はいろいろあるのだけど、そういう人は「とにかく動くこと」を要求していて、細かいこと、例えばXSS脆弱性だとかの面倒さだとか、学習コストの高さだとかを嫌っているように思う。そういう自分も「フレームワークなんて馬鹿じゃない?」と思っていた時期があるし、今でさえふとそんな気分になることもあるので、どちらが駄目とかいう話ではない。ただ、フレームワークについてぼちぼち考えてみる。

 何しろ、フレームワークと言われるモノ全般が、とっつきにくいのは間違いない。最初のうちは、チュートリアルこそ作れるものの、そこから一歩でも外れようものならあっという間にバグの嵐、全く訳がわからなくなる。そこでヘルプを読んだり誰かのレポートを読んだりするのだが、結局駄目でソースコードまで読むことになる。まぁそのコストはフレームワークを一から作るコストよりは安いのだけど、少なくともちょっとしたアプリを1つ作るコストよりはよほど高い。この辺のコスト意識が好き嫌いを分けているのではないかなと思う。昔フレームワークが嫌いだったのはこの辺の感覚があった。

 じゃぁなんで今はsymfony使ったりして開発してるのか、というと、結局コストをかけて慣れてしまうことで、おおよそのものが作れるようになるし、何が出来て何が出来ない(出来無くないけどコストが高い)のか、がわかってきて、システムの提案時点でそこを外すように誘導できるから、ということがわかったからだ。外すように誘導する、という言い方は誤解を招きそうだが、要は「必須」ではないところに無駄にコストをかけると、プロジェクトの成功率も下がるしコストも高騰してお互い幸せじゃないんだから、「出来れば」のところは曲げてくれるといいなぁ、という話をするということ。これが出来るならばフレームワークを使うことに依る省コスト度合いはぐっと上がり、使うメリットも出てくるはず。

 もっとも、最近の悩みは海外の良くできたフレームワークは日本のウェブサイトの慣習をフォロー出来てない(確認画面とかさー)ので、そこの実装にむやみにコストがかかってしまうところか。良くできたプラグインを作ってしまえばいいのだけれど、なかなか難しいところなんだよなぁ。

 本当にぼちぼちな話すぎて、日常タグしか付けられない。