Archive for the '思想' Category

春を感じた

Posted by ゆのじ on 4月 5th, 2008

昨日打ち合わせに行く途中、高井戸駅のホームの端で春を感じた。桜並木だったり、何でもない普通の家の壁に差し込む少し柔らかい春の日差しだったり、そういうのを見ていると心が安らいで行くのを感じる。

その後の打ち合わせは非常に良い感じに進んだし、別の話も持って行き方を思いついた。色々懸案事項として棚上げになっていたことを棚から下ろして動かしたくなった。冬の間固まっていた歯車が動き出した、のだろう。

もう日本は駄目だ、フィンランドに移住したい、なんて嘯いていたけれど、こういう日差しが大好きな自分を知ると、それは難しいことかもしれないなぁなんて思う。日本が駄目だという思いはなかなか変わるとは思えないのだが。

blog読みの弊害?

Posted by ゆのじ on 4月 4th, 2008

色々な人の意見を見聞きすることで、自分の意見をもっと醸成させたい、という考えで、多くのblogをgoogle readerに入れて読んでいる。ごく一部のものすごい人からしたら少ないが、それでもおよそ300フィード強、1日あたりのポスト数は多いときで500を超える。それだけの情報に触れるようになって、もう半年以上経つが、最近違和感を感じるようになってきた。

具体的にどういう違和感か、説明しづらいのだが、簡単に言えば情報過多なのだろう。人間が頭の中で整理できる情報量はそう多くないし、爆発的に多くなる物でもないように思う。そこに爆発的に増えた情報を突っ込んだがために、脳内が散らかった部屋のような状態になってしまって、考えをまとめたりすることが難しくなってきてしまっているような感じだ。これはかなりやばい。

さらに、1つのテーマにそってそれなりの文章量を割いている書籍と違って、blogの情報は恐ろしく断片的。書籍の文章ならば容易に他の知識とつながるが、blogの情報は他の知識とのつなぎ目は自分で作ってやらないといけない。作りながら読まないといけない。作りながら読むには1日500ポストはあまりにも多すぎる。

私がblogを書く目的は、人に見てもらうためではなくて、自分の考えを書き出しておきたいからだ。わざわざ公開している目的は、ある程度文章としてまとめざるを得ないし、それにはある程度の考察が要求されるから、なのだろう。Just ideaレベルならTwitterに吐けばいいのだ。

集合知は案外正しいというのは

Posted by ゆのじ on 4月 3rd, 2008

集合知は案外正しい、ということはWeb2.0ブームになってから言われるようになった。だが、やはりこれは「案外」に過ぎないのだなと思う。特に忘れられていることは、得たい知見に対して、知見を得るための母集団に偏りがあってはいけないということだ。もちろん、この段落で言うところの「集合知」を得るプロセスを考えるに、母集団から偏りをなくすことは難しい。現実的には母集団の偏りを配慮して統計処理するなりすることになるだろう。そこを誤解すると、結構イタイことになるように思う。

仕事ではインターネットを使ったシステムを企画することがおおい。四六時中そういうシステムを考えていると、世の中全員がインターネットを利用しているような気がしてしまうのだが、それは妄想。ただ、情報化してネットワークにつなげたら便利な物がまだあることは確か。なんでもかんでもそうしろとは思わないので、そこの選択基準と、どう提案していくかがキーなのだろう。難しい。

 

p.s.試しに今日から毎日更新してみることにする。さてどうなることか。